GiantSwing

そもそもスイングそのものには意味が無い
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大丈夫です

地震が続いています。
今後もしばらく続くかもしれません。

ですが、それを嘆いてもどうにもなりません。相手は単なる自然現象です。
それがどんなに悲惨で不幸なことであったとしても、そう感じるのは人間だけで、地殻変動は何十億年も前から続いている当たり前の現象のひとつでしかありません。

ですので、地球に住んでいるかぎり、老男若女関係なくこのリスクは受け入れるしかないのです。

かといって「揺れを楽しみましょう」とまでは言いませんが、地震が起きるかどうかに日々怯えていても何のメリットもありません。
起きるかどうかは誰にもわかりませんし、起きたら起きたでそのときに対応を考えれば良いのです。
意外となんとかなります。

実際、3・11の地震もいきなり起きましたが、なんとかなっています。
電池も、家にごろごろしているリモコンの電池をほじくり出せば、3日ぐらいはラジオや懐中電灯も保ちます。(実証済み)
食べ物がなくても、水さえあれば1週間は死なないでしょう。
水はいざとなれば川の水を汲んできて沸かして飲めばいいし、この飽食の時代ですから食べ物はどこかにあります。


実際、今回の震災で亡くなられた方のほとんどは津波に巻き込まれた方々ですから、沿岸に近いところにいる人だけは、すぐ避難できるよう準備したほうが良いと思いますが、津波さえ避けられれば必ずなんとかなります。


阪神淡路のときは、ビルや高速道路が横倒しになるというショッキングな場面がありましたが、今回はM9.0という1000年に1回の巨大地震でも、大きな建造物が倒れた例はありません。
東日本では、ここ30年ほどの間に震度6前後の地震がなんどかあったため、建物は「揺れ」に対して、我々の想像以上の耐性を備えているようです。

地面が揺れるという現象に対しては、日本の土木建築技術に自信を持っても良いだろうと思います。


「気休め言うな」とか「楽観しすぎ」という誹りを受けるかも知れませんが、この文章を見て、ひとりでも気が楽になってもらえれば幸いです。
[ 2011/04/11 23:24 ] 凡事 | TrackBack(0) | Comment(0)

受け止める方法

2011年3月23日 10:30ごろ父が死去しました。
享年73歳でした。

お悔やみの言葉や励ましのメッセージを送ってくれた皆さま、本当にありがとうございました。


父は2日前から風邪を引いて39度近く熱を出していたそうですが、前日は自分で車を運転して病院に行ける程度の症状でした。
当日の朝は、熱も下がり朝食も少しとったそうですが、その後熱がまた上がり始めたので、布団に横になっていたそうです。
母が気づいたときには、俯せで心肺停止の状態になっており、救急車を呼んで蘇生をはかったものの、そのまま帰らぬ人となりました。

検視をしていただいた医師の説明では、脳や心臓には特に異常は見られず、前日に高熱を発していたことから、なんらかの感染症の疑いがあり、それが呼吸器官に影響した可能性が高い、ということでした。
要するに、医者でもよくわからない突然死であったということです。


肉親を失うという経験があまりに突然やってきたために、自分が本当に悲しいのかどうかよくわからないような感情であったのですが、近親者の死の後には、葬儀屋さんやお寺さんへの連絡など忙しい手続きが待っているものです。
私も悲しみにくれる暇もなく、仕事でいつもそうしているようにアクションリストを手帳に書き出しては、済んだ項目にチェックをつけるという行動をいやに冷静に繰り返していました。

こうした煩雑な手続きは、悲しみを受け止めるためのひとつのシステムなんだな、と思いました。


また、人は自分が思う通りに行かないことがあると、「合理化」という行動を取ります。
(ぶどうを食べられなかったキツネが「あのぶどうは酸っぱいや!」というアレです)

居て欲しい人が居なくなるということは、人生の中でもっとも思い通りに行かない事象と思われますが、周囲からかけられる言葉は、まさに死という事実を受け入れるための合理化行為そのものでした。
その内容は、故人のプライバシーにもかかわることなので具体的な言及は避けますが、父の死は至って必然であり、満足して旅立っていったということが納得できる言葉でした。

それらの言葉は、ほとんどは仏教的な慣用句を背景にしたものでしたが、私にとっては気持ちを整理するのに非常に役立ちました。
普段、宗教というものの存在をそれほど意識せずにいたのですが、宗教がなぜ存在するのか、ということも身をもって理解できた気がします。


現在、日本全体が大きな悲しみのなかにいます。
ですが、大昔から日本人は悲しみを抱えながらも、それを受け止めつつ立ち上がるための仕組みというか精神構造を持っているものだと思います。
これがある限り、今度も震災も立ち上がれないわけはない、克服できないわけがないと私は確信しています。
[ 2011/03/26 15:42 ] 凡事 | TrackBack(0) | Comment(0)

その日

その日の14:46、私は15時の打合せに行くために、宮城県庁近くの公園の脇を歩いていました。

もともと地盤の固いところであったためか、それほどの揺れを感じず、最初は震度4か5程度かと思っていました。
ところが揺れは一向に収まらず、1分以上揺れていたでしょうか。
道路では、車がまるではしゃいでいるかのようにぴょこぴょこ跳ねていました。

最初のうちは、仙台中心部の建物の倒壊などはなかったため、これほどの惨事になるとは想像できませんでした。
家族は、百貨店で買い物をしていたらしいのですが、店員さんの命がけの保護と誘導により、安全に避難し自宅に戻っていました。
連絡も比較的早くとれました。
家もほとんど被害がなく、本が3冊下に落ちていただけでした。
電気水道も翌日の午前中には復旧しました。
とても幸運だったと思います。

しかし、他地域の惨状や身近にも家族を失った人がいることを知るにつれて、「生きている」ということ自体が最大の幸運であることを実感しました。
その一方で、生かされた自分ができることと被害の甚大さとの大きな隔たりを感じて、焦るような気持ちにもなりましたが、そんなおりに次の言葉を見て、自分の行動指針をどうすべきかが見えた気がしました。

【萬燈行】

[ 2011/03/18 15:21 ] 凡事 | TrackBack(0) | Comment(0)

私がはじめて自分のホームページを作ったのが、1999年3月のことです。
このときは、「日本で個人ホームページを持つ人が20万を超えた」というニュースに興奮して、自分もやらなければと半ば焦燥に近い思いで始めたものでした。

そこから10余年、インターネット空間を通してつらつらと独白行為を続けて来ているのですが、ホームページからブログ、ミクシィ、ツイッター、Facebookとツールの変遷に応じて、その「場」が変わっています。
これは取りも直さず「新しいものがでたら取りあえず飛びつく」という、私の節操のなさを示しているものでもあります。

アメリカの社会学者のマーシャル・マクルーハンが「メディアはマッサージ」という言葉を遺していますが、私にとっても、こうしたソーシャルメディアを介してメッセージを発信することが目的ではなく、日々変わるソーシャルメディアに触れること自体が、まるでマッサージを受けるような快感であるわけです。

そんなわけで、昨年よりツイッターに場を移した関係で、このブログの更新も滞っていましたが、最近ではツイッターでの発言も激減し、もっぱらFacebookが主戦場となりつつあります。

Facebookが何者で何を生み出すものなのかはわかりませんが、これに触れる私の感覚は今のところ「快」と反応しています。
自分がなぜこのツールに惹かれるのかは、やっていくなかで整理してみたいと思っています。

というわけで、最近は以下に居ります。
インターネットを通じてご縁ができた方もたくさんいますので、引き続きご支援ご鞭撻をお願いしたい次第であります。

Facebookプロフィール
http://www.facebook.com/kenichi.sugawara


[ 2011/03/06 02:01 ] 凡事 | TrackBack(0) | Comment(0)

誕生

ご報告がだいぶ遅くなりましたが、9月27日に女児が誕生しました。
おかげさまで母子ともに健康です。



名前は「琴子」とつけました。
特に意味は込めていませんが、語感と字画がまあまあ良いということで決めました。


今年の正月まで、自分が家庭を持つ、ましてや子供を持つ、ということなど具体的にイメージしたことがなかったのですが、それからほぼ十月十日(とつきとおか)後には父親になっているのですから、人生なにが起きるかわかりません。

「親の因果が子に報い・・・」という都々逸がありますが、子供には将来こうなって欲しいなどという期待は持たないようにしようと思っています。
ただ、なにか好きなことが見つかるように、選択肢だけはたくさん用意してあげたいと思います。

でも、将来一緒にセッションできたりすると楽しいかも、と思ったりもして、背中をトントンするときは「2拍3連」にしています。(単純な4ビートのトントンより寝付きが良い)

胎内に居るときも、サルサやボサノバがかかるとドコドコ反応していましたので、将来はパーカッショニストになるかも知れません。
ちょっとだけ期待しようかな。
[ 2010/10/13 00:03 ] 凡事 | TrackBack(0) | Comment(5)

披露宴

結婚披露宴は、できればやりたくないものだと思っていた。
恥ずかしいから。

とは言いつつ、いざそういう状況になると避けて通るわけにもいかず、去る5月23日に執り行いました。
来ていただいた皆さま、誠にありがとうございました。

結果的にはやって良かった。
まあ、なんというかこれだけの人たちにお世話になって、今後いい加減なことはできないなあ、というのが実感だ。

当日は、バイオリンとアコーディオンのDUOの"SIESTA"に前半のBGMをお願いし、後半には久住昌之さんとwakaさんにお願いして、Q&W(クエスチョン&ワカンナイ)にミニライブをやってもらい、大いに盛りあがった。
自分は当事者なのだけれど、とても楽しめた。

それと、当日のBGMの選曲も意外に楽しい作業だった。
たぶん、ここに一番時間をかけたと思う。
以下、当日のBGMリスト。

To Chi Ka(渡辺香津美)
Over The Rainbow(Jeff Beck)
Nessum Dorma(Jeff Beck)
The girl from ipanema(Antônio Carlos Jobim)
Corcovado(Antônio Carlos Jobim)
Aqua de Beber(Antônio Carlos Jobim)
Wave(João Gilberto)
Dindi(João Gilberto)
The Birds And The Bees(Jim Hall & Pat Metheny)
Last Train Home(solo)(Pat Metheny)
In a Sentimental Mood(Michael Brecke)
Children's Contiert(Patrick Moraz & Bill Bruford)
Looking Up(Michel Petruccian)
Moonlight In Vermont(Ella Jane Fitzgerald)
Sunny(Ann Burton)
Everything I have is Yours(Billie Holiday)
Letter From Home(Pat Metheny)
If I were a Bell(Miles Davis)

[ 2010/05/30 07:56 ] 凡事 | TrackBack(0) | Comment(2)

12週目

今週、産婦人科で定期健診を受けました。
もちろん私ではないけれど。

現在、12週目に入り、超音波写真でもなにか人らしき影が映るようになってきた。
手らしきものもあって、ガチョーンみたいな手つきをしているようにも見える。
顔と思われるところは、なんだか正岡子規の横顔に似ている。

「正岡」という名前にしようかな。
しかし、正直なところまだ実感が湧かない。


[ 2010/03/13 19:42 ] 凡事 | TrackBack(0) | Comment(0)

ご報告

2月22日に入籍しましたことをご報告申し上げます。

年が明けた当初には、まったく何も考えていなかったのですが、ここ1ヶ月少々でどたばたと事が進みました。
下村湖人の「次郎物語」という小説のなかに、「無計画の計画」という言葉が出てきますが、進学や就職、転職といった人生の節目には、自分の意志とはなにか別の力が働いているような気がしています。
実際には、そのときそのときの自分の行動の積み重ねが、すべての結果を呼んでいるわけですが「縁は異なもの」というのが実感です。

ここまでノープランのまま四十余年、ひたすら馬齢を重ねて参りましたが、今後もノープランで生きていくんだろうなと思います。
そんな私も、9月下旬か10月には人の子の親となる予定です。
[ 2010/02/26 05:04 ] 凡事 | TrackBack(0) | Comment(18)

その当日

その当日、一緒に演奏するはずだった渋谷毅さんのブログ
それだけ突然のことだったのだろう。

そしてその次の記事。
淡々とした文章が悲しい。
[ 2010/01/23 01:14 ] 凡事 | TrackBack(0) | Comment(0)

わかったこと

Twitterを3週間使ってみてわかったこと。

テレビと似ている。
フォローの数が増えてくると、タイムラインが川のように絶え間なく流れていく。
これを眺めているのは、TVをボーっと眺めているときの心境に似ている。

インターネット上にある情報は、検索して自らアクセスしないと閲覧できないが、Twitterは向こうから次々と情報が飛び込んでくる。
特に目的のないネットサーフィン(いまどき言わないか)が、それほど長時間続かないのは、自分で情報を探しにいくことに疲れてしまうからだ。
その点、Twitterは何も考えなくとも良いので、意外に長時間見ていたりする。
もう止めようかな、でももうちょっと見ようかな、とずるずる見てしまうところもテレビと似ている。
暇なときに、何気なくテレビをつけてみるのと同じように、「なにかやってないかな」という気持ちで、Twitterを開いている。

もちろん140文字だから、かなりサマライズされた情報、いわばインデックスのみと言っていいのだろうけれど、添付されているリンクをたどれば、意外に深い情報に行きあたったりする。
それに対して思うところをコメントしたりすると、リアルタイムで反応があったりするので、そうしたインタラクティブ性もおもしろさのひとつだ。

Twitterがメディアとしての可能性を期待されているのは、こうした点ではないかと思う。
[ 2010/01/21 20:05 ] 凡事 | TrackBack(0) | Comment(0)
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